
転売は分配の問題と結びつけて考えることができる。
例えば、書籍は都心部の大型書店から優先的に配本されていくという構造がある。
都心からの距離が遠ければ遠いほど、新刊の書籍は遅れて書店に並び、地方に至っては並ばないことすらざらにあるだろう。
発行部数の少ない専門書においてそれは顕著である。
思うに、転売はこういった非対照性のある場によって起こっていくように見える。
田舎では絶対に買えない本が都心では簡単に手に入る。
つまり本を転売する人間は必然的に都心部にいることが有利となる。
ここで、人間である以上「それは不平等ではないのか、どうにかならないのか」という思いが湧いてくる。
この点について少し考えてみたが、結局のところ、経済活動が合法的かつ合理的に行われているのであれば外部からの干渉、つまり法的な環境整備で転売を撲滅させていくのはいかがなものか、と思うに至った。
もっと細かい点を言えば、その制度設計によって消費される労力や時間、エネルギーはどういったかたちで還元されるのか、ということである。この問題について考えることは大切だが、転売という行為ではなく、転売の温床となっている場について考えるべきである。転売という行為に関しては、その上位概念である道徳や倫理に席を譲ってやれば良いだけの話ではないか。
分配は正義か?という問題につながるわけであるが、例え格差があるにせよ、生まれた場所までは選べないのである以上、そこに文句を垂らすのはやや幼稚に見えるうえ、その土地でしかできないことや、その不利な場で何をすべきかという問いかけを行うことはとても大切なように思われる。
もっと広くとらえると、結局のところ運命に対する態度が問われているのである。
自分の運命をただ恨むだけの態度は著しく自分の人生に対して責任を放棄するようなものである。
置かれた場所で咲きなさいという本があったが、これに通ずるものがあり、やはり固有の特性を活かしきることを考えるのがベストなように思われたのであった。