立ち読み記3

 

 

「覚悟とは孤独であることを自覚することである。」

池田晶子の本をついさらっとめくると、そのような言葉が書かれていた。

「すぐ人とつながりたがるような精神の持ち主同士がくっついたところで、それで寂しさが無くなる道理はない」

というような主旨の内容を読んだことを思い出す。

大人とは孤独であることを受け入れる存在なのだ。

 

 

「考えることが自由である」

自由の条件は思考である、そのように書いていた。

自己解体。

自分というものを疑い抜く。

それでも尚、精神として自分は在る。

この謎ととことん向き合った池田晶子。

彼女のいう「自由」の定義を忘れない。

 

 

彼女の本をひたすら読むようになってからは、同じ思想書コーナーに置かれている学者の本がうそっぱちに見えて仕方がない。

ドゥルーズをやたらと称賛する人間がいるが、こういう人物の本こそ批判的に吟味しなければならない。

そういう自分も池田晶子をさんざん批判的に見てきたが、結局のところ正しいと思うようになった。

 

 

小林秀雄と池田晶子の亡き現代、彼らの代弁者は何処に。

否。

自分がなるしかない。

アイデアの厳選、夢

 

 

夢を見ることは、しっかりと眠れていない証拠なのかもしれないが、時々自身の想像力をはるかに超えた物語を提示してくる。

例えば「夢でよかった」とホッとした経験のある人は多いのではないだろうか。

現実的な夢、非日常的な夢、SFのような夢。

ジャンルは多岐にわたる。

 

 

個人的に、今日は飛び抜けた夢を見た。

たまに、「これは夢だから大丈夫だ」と夢のなかで思うときがある。

今日はそれが「これは映画だから大丈夫だ」であった。

もはや4Dどころではない。映画のなかに自分が入り込むのである。

自身の想像力を遥かに超えた体験であった。

 

 

内容としては、組織犯罪の一工作員として、証拠を消す作業をしているところであった。

ところが次第に敵側が有利になり敗戦が濃厚に。

そして証拠も暴き出されてしまう。絶体絶命。

「これは映画だ、これは映画だ」

 

 

なんとか命は助かったようである。

夢はアイデアの宝庫という格言があるが、決して間違いではないと思った。

「本は高い」は時代遅れの発想

 

 

メルカリ読書という言葉がある程度浸透したように思う。

読んだらすぐ売ることによって実質半額以下で本が読める。

素直に良い時代になったと思う。

本は高い。それは時代遅れの発想である。

 

 

分厚い本も変わらない。

半年かけて読もうが、良本は値崩れしないものである。

メルカリの経験から、値崩れする本としない本を見分けることが可能となった。

新刊のビジネス書は値崩れが早すぎる。

裏を返せば、新聞のようなものである。

過去の新聞には価値がない。

 

 

1万円の本を半年かけてゆっくり読んで、その後七千円で売る。

一日あたりいくらお金をかけたことになるだろうか。

100円にも満たないのではないだろうか。

サブスクのようなものである。

本質的に高い本など存在しない。

 

 

常識は更新されつづける。